頭もイサギも、男並みに良かった祖母の遺品の整理。満鉄で働いていた祖父と、帰国後は力を合わせて生きていました。鹿児島人らしい明るく力強い2人でした。
役人だった祖父は、生き残りのためにロシア語を覚え、終戦まで満鉄でロシア語通訳として粘って働きました。芸術や音楽が好きな、涙もろい人でした。
祖母は手先の器用な人だったので、編み物の仕事を引き受けたり、沢山の生徒さんに教えたりして、家計を支えてました。
生まれた男の子達はどの子も生き延びることができませんでした。
そうだ、おばあちゃんは、よくキューピー人形に洋服を編んで着せていたなぁ
何であんなに沢山キューピー人形を仕入れては洋服を着せていたのか、ようやく理解できる歳になりました。