先月、今月と、コロナのお陰で娘と濃厚な日々を送っております。
学校に行かれなくて娘のストレスが溜まる一方だった4月の始め。日本の公立校のあらゆる所が、自分が通っていた20年前と変わっていないことを、まざまざと突きつけられた母(←何気にサバ読んでる)。
ため息と悲しみが湧いてきました
ヨーロッパでは、「はい、明後日から学校は中止。オンラインでやります!」って、あっという間にオンラインクラスが当たり前のように広がる地域が多いのに。日本は?
学校を責めるわけではない。先生達は必死でオンライン動画作りに励んでくれてたりする。
その姿を子供達はスクリーン越しに見ている。
娘も、動画学習プログラムが始まってから、自分のこと担任の先生も登場した時に嬉しそうだった。
ここまで、テクノロジーの普及が遅れていることに憤りを覚える。教育施設のパソコン普及も遅れている。
そもそも、教育に割かれる国の予算が低すぎる。恥ずかしいくらい低い。
これが、とても悲しい
私が嘆いている姿を見てなのか、娘は外国と日本の教育の違いに興味を示している。外国と言っても、先進国なのだが。
そして、娘もそれなりに色々考えているようだ。自分の生き方とか。
彼女は普通の日本の6年生より、まだ右脳が優勢。言語化が難しい。6年生になっても、誤字脱字が目立つ。だから、勉強ができない頭の悪い子だと周りから勘違いされることが多いが、そんなことはない。
素直に感じる心を持っている。世界と自分がまだ融合している。分離していない。だから、感覚で物事を捉える。五感で全て捉える。
その能力は、大人になるにつれて閉じてしまうことが多いから、私はそのままにしておいている。無理に漢字を覚えさせたりはしない。かのじのクリエイティブなところが潰されてしまいそうだから。
こういう子は、好きなことになると、俄然やる気が出て、ビックリするほど勉強する。その過程で国語や数学も学習していく。大人が望む形ではないかもしれないが、知恵はついていく。
そんなことを、この1ヶ月半で以前よりも一層強く感じていた。娘も時事ニュースを前よりも見るようになった。
さて、今月始め、夜、突然、「私の心が怖いの」と言い出す娘。
??
「何が怖いの?」と聞くと
「え?怖くはないよ」と返事。
「だって、いま、怖いって言ったよね?」
「ううん。私は怖くないの。ただ、私の心が怖いの」と。
そのあと、お話をして寝に落ちたのだが、わかったことは、いよいよ、彼女の大人への成長期が始まったのだ、ということだ。
自分の世界と、周りの世界が分離し始めている。だから、恐怖を感じる。
だけど、私は怖くない、とはどういうことか?
心と魂は別物だということ。
魂は、完全だ。完璧なる存在だ。
魂は恐れを知らない。
全知全能だから。
今は日本も世界も沢山の不安を抱えている。大人も先が見えないことに不安を感じて過ごしている人が多いと思う。
だけど、娘にはその魂感覚を忘れないでほしい
魂と繋がるとは、ハイヤーセルフと繋がることに通じる。
自分のハイヤーセルフと繋がることができると、自分は恐れるものは何もなくて、どんな困難もチャレンジ、乗り越えられるチャレンジなんだとわかるから。
今年後半は、子供の教育事業も開始します。「感じる教育」をオンラインで提供したいですね。