先日、娘の学校で演劇の発表会がありました。古典の作品を先生や生徒でアレンジしたものらしいのです。「大人顔負けで凄いのよ」って、先輩の保護者さんから聞いてはいたけど、実際に観てみて、私もそう思いました。主に2つの観点から。
1.子供達の聴いて動いて身体に染み込ませる能力
普通の日本の公立の小中学校の学芸会では、台本が配られ、セリフがあります。私も小6の時に「村の子 3」の役をやりましたっけ。ものぐさな村の子供の役でして、ひと言セリフを言って、ゴロンと横になって餅を食べるという役でした。
今回、娘の学校の劇は小学1年生から中学1年生までの10数名による劇でした。セリフが棒読みになったり、間違えたり、うまくいかない部分もありましたが、それは子供なので良しとします。それよりも、高学年の子たちのセリフの量が凄かった!45分間、ほとんど子供だけで舞台裏も準備します。高学年の子が低学年の子に教えて、まとめます。その上で自分たちも着替えて、何度も舞台に出ては演技をする。
これは、凄いと思いました。大人でも、ここまでやるのは大変です。45分間を子供だけでやり通す。セリフも古典的なものが多いのです。
衣装も、全て子供達が作ります。手仕事の先生が指導はしますが、うちの娘もぞうりの装飾、エフェソスの女性が被る帽子のようなもの、天使の羽を自分で作っていました。
人に見せるために、自分を飾るために、みんなと1つのものを作り上げるために自らの手を使って作る。「〇〇ちゃん、効果音を出すのに使うワイングラス(中に水を入れて縁をなぞってぽわーんという不思議な音を出すのです)を忘れるかもしれないからママの貸して!」とか言うし。プラスチックのもの渡したら、「ダメだよ、本物じゃないとダメなんだよ」と。電車の中で割ってしまうから、と止めましたが。
なるほど、なるほど。娘が最近色んな音を作り出したりしていたのは、舞台裏での効果音も子供達が作るからだったのか!とその時に知りました。実際、舞台ではギター弾いたり、太鼓鳴らしたり、その他色々主に子供達がやってました。
セリフ自体も、どこで何をやるのかも、実は台本という紙なしで子供達は覚えたというのです!これにはビックリですよ。先生の言うセリフを必死に聞いて、覚える、そして動く。その繰り返し。子供は真似して覚えます。学ぶ、とは、真似ることです。
必死に真似すれば、ちゃんと脳は動くのです。
2.感じて、考えて、選択して行動できる子を育てる
同じ指導者として、先生の愛を感じました。この劇を指導するためには半端ない愛情と手間と時間をかけないと無理です。私も大人や子供に舞台の指導をしていたのでわかります。
手出しし過ぎてもダメ。子供が自主性を出さないとできない。中には自主性がまだ育っていない子もいます。うちの娘みたいに、飲み込みが遅かったり、周りについていかれない子もいます。そういう子を面倒見られるように上の学年を何年もかけて育ててきてます。
人を育てるって、本当に大変なことなんです。指導者、人ととしての自分の未熟さや間違いや、孤独や、周りから理解されないことに毎日向き合います。完璧ではないのに完璧を求められる。ジャッジの中で生きるということです。
ここまで子供達に向き合って指導してくださって、本当に有難いと思いました。子供の劇とはいえ手抜きはされてませんでした。本物を子供達に体験させたい、という先生達の気持ちがよく伝わりました。ありえん、ありえん!こんな贅沢ありえんわっ!って感動しました。
本物って、目に見える本物と、目に見えない本物があるんです。舞台はどうしても衣装とか技術とか小道具とか、段取りの良さとかで良し悪しを判断されがちですが、舞台経験のある人はわかると思いますけど、ふっと沸き起こるような何かを感じる時があるんです。自分の中からなのか、外からなのかよくわからないけど、ある空気が流れるというか。自分の血液の中にも流れるというか。
アレなんですよ。it.
文章を渡さず、ひたすら先生の言うこと、やることを真似る。インド古典舞踊や音楽と同じです。私の師匠もそういうやり方でした。「聞いて、見て覚えろ」が基本。だから、脳に染み込むのではなく、身体に染み込む。細胞に心に染み込む。それは、一生消えないのです。
先生が染み込ませるのは、舞台をやり遂げるためのセリフではなく、その子が生きていくために役立つであろう人生で起こる数々のイベントや感情。疑似体験させておく。疑似であったとしても、文章で読むのと、自分の身体でやっておくのとでは全然違う。いざとなったとき、取るべき行動が細胞に染み付いている。これほど心強いものはないと思います。
綺麗な作品を作るための劇ではない。生徒を育てるための舞台なんです。だから、失敗したり、未完成なものを発表する権利も与えられます。スクールであるから、失敗することができます。失敗しても何度も頑張る姿や、帳尻を合わせる姿を見守ることを子供も大人も学びます。
私たちには失敗する権利がある。失敗からしか学べないことが多いのが人生ではないですか?医者も、ヒーラーも、技術士も職人も、どこかで失敗する機会を与えられるべきです。それが大事故にならないように護るのが先生だったり組織です。失敗したときにどうやって立て直すのか学ばないといけないと思います。
ある意味で、ベテランというのは失敗を失敗にしない能力を身につけた方なんじゃないかなぁって常々感じます。
学校という場だけでなく、社会の中でも大人も失敗する権利を与えられるべきです。完璧、完成、成功だけを求められたら自分もキツイし人もシンドイ。あなたも私も間違える。そんなスタンスで生きていくことができたら、きっと笑顔が増える。自分を育てることが楽しくなる。
私が娘に願うことは、自分で学び、自分で自分を育てる力をつけることです。学歴より、そういう生きる力や希望を自分で見出す強さを身につけて欲しいなぁ 学歴なんて、人から信頼を得るのには役立ちますけど、なくても全然大丈夫だから。