ある方をリーディングして、「卒業」や「脱する」ということが改めて私個人の大きなテーマであるな、と思いました。
20代後半から30代始めまでをインド音楽や舞踊に捧げましたが、その中で求められたことに本当にサヨナラしないといけないな、と思ったのは1年ほど前でしょうか。名古屋のお教室も閉めたし、東京の方もお休みしてます。
閉めることで生徒さんには申し訳ないという罪悪感がありましたが、でも、それでも、私は辞めないといけなかったのです。そこで止まっている限り、私は霊的な成長はできないから。私が持っている本当にの使命も果たせないし。使命=魂の目的 です。
インド音楽も舞踊も好きです。ですが、周りに求められるのは、「敬虔に神に仕える姿」「品行方正」「奉仕」であり、「インド人には叶わない外国人ダンサーであれ」という暗黙のプレッシャーでした。
神やグルへの奉仕を謳いながら、舞台裏では別の顔を持つアーティスト達もいます。ヨガの世界にもそれは感じますね。FBなどのネットで流れる「仮面」に心が痛みました。それは、どこの業界も変わらないでしょう。インドにいた時から、その文化や言葉を理解できた分、あの国や人が持つ2面性を見つめえざるをえませんでした。
2面性が当たり前で、前提の社会、コミュニティー、業界は苦手です。私のインド批判を面白く思わないインド人もいましたが、あえて批判させていただきました。本当のこと、事実、自分の心の声を聞くことをしない文化の方には理解できなかったでしょう。聞かないようにすること、盲目的に国を愛することを幼い頃からプログラミングされているのですから。
私には、神への奉仕は必要ないんです。グルへの盲目的な献身も無理です(幸運であったのは、どのグルにもそれを要求されませんでした)。マントラを唱えること、祭壇を飾ること、正しくあることも大切なことだとは思いません。それらは、「やらなくてもできる」ことなんですから。それらはなくとも、バンダナの振り付け間違えても、神様とは、神聖なるものとは、私たちはいつでも繋がれます。愛さえあれば。
1年という時間は短いとは思いますが、この期間でどれだけ自分が強くなったか感動することがあります☆ もう3年くらい生きた気分です(≧∇≦)どんだけ手放せたんだか!インド章を閉じられて本当に良かったです。追いかけてくるエネルギーが増すこの数週間ですが、振り切ります。遠慮なく。
結局のところ、私はインドの中に、他人の中に見ていたものに、自分を見ていたのです。自分の中にある葛藤と矛盾。それを浮き彫りにさせてくれた数年間と周りの人に感謝です。
今週木曜日の瞑想会でも、皆さん色々手放しましょう。手放したら、新しいものが入ってきます。