シュタイナー教育, ヒーリング講座☆ワークショップ

未知でいい

普段、仕事で小学生と関わることがあるのですが、子供って、特に小さい時には知らないことが沢山で、我々大人からすると大したことないことで楽しめるんですよ。私は子供に指導するときに、簡単な工作や美術作品の作成を取り入れることが好きなんです。外国ルーツのお子さんに携わることが多く、日本語がまだわからない子もいるので、そういときはコミュニケーションツールとして、子供たちの緊張を解くために「手仕事」は便利です。

で、気をつけるようにしていることがあるんです。それは、子供が新しいものを目にして驚くときには、自分自身もまるでそれを初めて体験するかのような気持ちで傍にいるようにすることです。たとえば、野菜を輪切りにして、インクをつけて、スタンプにするワーク。オクラとかはきれいな五芒星になるんですよね。我々大人は、オクラを外から見て、頭の中で考えて、「これは五芒星になって、小さい〇が5個あるな」とか、先に想像できています。想像できちゃう。気をつけないと、1人1人の子供の「オクラスタンプ初体験」を流れ作業のようにしてしまいます。それって、なんだか申し訳ない気がしてきちゃうんです。

表現が難しいんですが、もう知っていて驚くことがない自分が、これから初体験でうわぁって驚く存在の横にいることに違和感を覚えてしまうんです。なんか、その素晴らしい瞬間を一緒の気持ちで迎える人が周りにいることが理想的な気がしてしまうんです。もちろん、これはあくまでも私個人の感覚です。

純粋な驚きと喜びを汚したくない、と思っちゃう。じゃあ、私の中の何がそれを汚すんだろう。。。。

多分、単純に、もう知っている、分かっている、ということなんですよ。それは罪なことじゃない。なのに、悪い気がしてしまうんです。そんな気持ちになる人はいますでしょうか?みなさん、どうなんだろう。。。純粋な疑問。

我々は、学校教育で、たくさん知っていることを褒められます。たくさんの知識を詰め込み、「知っている」ことが求められるんですよね、現代社会は。たくさん知っている人が高く評価され、職業やお給料に反映されます。それはそれで頷けることではあるのです。

でも、大人になるにつれて、何かの不思議さに驚くという能力を失っていく気がするんです。みなさんは、どうですか?驚くことはダサい、驚かないで知っていることが偉いんだ、という風潮が世の中にないですか?

私ね、「うわぁ、なんじゃこりゃ!」「知らなかった―、へー」って思うことが多いほど、毎日が豊かになる気がするんです。自分が知らないことが世の中にはあって、それを何十年とかけて知っていくこと自体が豊かな生き方だという木がするんです。

「自分がわかることしか頭に持っていない人間は、なんとちっぽけな人間なんだろう」って、ルドルフ・シュタイナーが言っていたそうなんです。それ、わかるなぁ。わからないことも頭の中に入れてた方がわくわくして楽しいですからね。

透視やエネルギーの世界に触れていくと、わからないことだらけなんですよ。たくさん知りたい、視たい、と思って受講生は透視コースに来るんですが、コースが進み、透視能力やエネルギーを動かす力が付けばつくほど、「あー、わからないことが多い」とか「全部わからなくて当たり前」という感覚になっていって、生きるのが楽になるんですよ。考えや知識であれこれ対策や解決策を模索するのをやめるようになれます。自分の頭で考え出せないところに解決策はあるものです。

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